ヴィッチブログ

稀につらつらと書き記します


2015.08.08

 

先日、兵庫県立美術館に「船越桂 私の中のスフィンクス」を観てきました。
過去にも彼の木彫は目にしているのですが、大規模な展覧会では初めて。
率直な感想、、「船越桂生きてる!」(好感度ではなく)

もちろん知っています。
美術品を作品だけでボーッと観ることは少ないので、
予備知識として60代の方という認識は確かにあったのですが、
便宜上制作年が記載される「キャプション」なる存在が滑稽に思えるのです。(この人の場合)
<19××年>や<20××年>の文字にピンとこない。

自分の意識がハッキリしたときには、現代人(生)or古代人(死)か見分けがつかない存在で居続けたのに、
現在進行で生きてる船越桂がはっきりと証明されてしまい戸惑いを隠せない。
「えっーそれって人間ってことー?(当たり前)」って我に返される。
(※デビューから作っているもの それ自体のクオリティ水準が高すぎて我々凡人には「経年の違い」が見えにくいのも影響していると思う。)

『THIS IS IT (2009年)』を観て、「えっマイケル、リハとかやるの。人の子じゃん。」と一緒の感覚。
※分かりづらい。
疑う余地を持ちたくないほど私の中では「米、水、桂」は普遍なのです。

 

と頭の片隅で思ったことを、

熱心に書き留める隣の小学生に借りた鉛筆でブンブン書き殴っていましたが、
大真面目な本音は、
<走り書いたプロセスノート>に生きるメッセージを汲み取り、
<あそこに見える山が僕の中に入る!と思った日から>との記載に、

モノを作る人ならではの感覚的記述に触れ、
一つ一つの欠片に滲み出た桂さんの苦悩をも知ることができた。

生き続けてほしい、もっと触れたい。
ああ本っ当によかった。


ケント・マエダヴィッチ